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1.物語の始まり〜地球屋にてバロンとの出会い

(2004/04/18更新)
このコーナーは製作者の主観による解釈です。あくまで参考程度に受け取ってください。
本当は、あなた自身の感じる解釈が一番正しいのですから。

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映画予告

(スタジオジブリ作品)

雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敵な街だといいね。」
聖司:「うん、古い街だって。」

(カントリーロードが流れ始める)
(場面が次々に移り変わる)

雫:「あなたは、さっきのネコくん?」

雫:「あいつは自分の才能を試しに行くの、だったら私も試してみる。」

雫の母:「試すって何を、あなた。」
雫の父:「あ、すまん。ついな。」

西司郎:「楽しみにまってますよ。」

バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラズリの鉱脈を捜す旅に。」

(テロップ:この夏、怪しいネコが素敵な愛を届けます。)

(テロップ:耳をすませば)

(自転車乗り走る雫と聖司、雫が聖司の背中に頭をつける)

雫:「好きなひとが、できました。」

 これは、公開前日に金曜ロードショーであった映画予告です。雫が物語を書くその過程が示されていることがわかります。私は、最後の「好きなひとが できました。」がとても好きです。映画予告でしか聞けない、雫役:本名陽子さんのセリフ。映画のコピーでもあります。その初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっとりします。

オープニング〜コンビニ

 オープニングでは、都心の夜景をバックにカントリーロードの原曲が流れます。このカントリーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌詞です。
 故郷と聞いて、まず思い浮かぶのは「ふるさと」の世界でしょうか。緑がいっぱいでどこまでも澄んだ空気、車の音は聞こえず、風の音、川の流れる音、子供たちの歓声が聞こえます。
 しかし、現代の日本においては空想にすぎません。都会に生まれた人にとっては、星も見えない、いつも明るい、コンクリートジャングルが故郷なのです。
 雫にとっても、緑あふれる農村や青い海は故郷でなく、新興住宅地の団地こそがカントリー(故郷)なのです。
このオープニングは「故郷って何?」という問いかけだと考えます。

 コンビニは現代の都市生活にはかかせません。コンビニエンスストアは24時間営業ですが、当初は画期的で世間の注目を集めたと思われます(詳しくは知りませんが)。しかし、今は当たり前の存在となり、24時間営業も当たり前になりました。24時間営業していないと「なんで?」と疑問を抱くほどです。
 雫は1994年時点で中学3年生、1979年8月〜1980年3月生まれのコンビニ世代です。小さい頃から慣れ親しんでいると思われます。この映画にはコンビニは出てきますが、スーパーは出てきません(せいぜい生協の名前くらい)。
 このコンビニは、現代の都会生活と、そこに住むものの故郷の風景の一つとしての象徴的な役割を担っていると思われます。

図書カード

 映画中で雫の父:靖也が「わが図書館もついにバーコード化するんだよ。準備に大騒ぎさ」と言っています。現代の大型図書館では図書カードは過去のものとなっています。私の世代では小学校、中学校、高校とずっと図書カードがありました。しかし、大学の図書館は全てバーコードでした。IDカードは学生証でした。やはり、その蔵書数が多くなると在庫管理が大変になるのでしょう。
 雫は「やっぱり、変えちゃうの?私、カードの方が好き」といい、父靖也も、「僕もそうだけどね」とあいづちを打ちます。
 私は小学校のとき、本を借りた時に図書カードを見て誰が借りていたのか見るのが好きでした。たくさん借りられていれば、面白い本だという選び方もできました。高校のときは個人図書カードだったのですが、閲覧に来ただけで書き込まなければならなかったので、逆に利用し閲覧だけで3年間に何十枚の個人図書カードを作らせた記憶があります。図書カードは利用する方にとってはとても楽しく使い道のあるものだけに、無くなるのは残念です。この効率とスピードの時代では仕方ないのかもしれませんが。

 雫は図書カードを通じて天沢聖司の存在に気が付きます。思春期だからこそ、男子の名前に目がいっただけかもしれませんが、この気が付くというのは、偶然でしょう。
 私たちの身の回りにも偶然はたくさんあります。電車というものはいつも乗っていればわかりますが、同じ時間の同じ場所はたいてい同じ人が乗っています。そこに気が付くのは偶然です。
 雫はこの偶然を逃しませんでした。興味を持ったのです。もしかするとこれが運命の分かれ道かもしれません。
 私たちも偶然を自分のものにすれば、運はめぐってくるのではないでしょうか?ほんの少し興味を持つ範囲を広げるだけで、きっと新しいことが見つかると、映画は示唆しているようにも思えます。

夕子と雫 (1999/01/01)

 雫は朝起きて「もう、こんな時間。夕子会うんだ」と言います。そして、急いで準備するかと思いきや、朝食のパンまで食べています。さらに、学校に着いても夕子との待ち合わせ場所に行くわけでもなく、先に図書室に行ってしまします。雫は結局、夕子に怒られます。雫は苦笑いをしています。

 雫はウッカリ屋さんなのかも。この性格は母親に由来すると思われます。母親の朝子も出かける時に財布を忘れていたり、後に大学に遅刻しそうになったりしています。
 この場面では雫の本好きが良くわかります。雫には学校→本→図書館という思考が働いているようです。
 一方、夕子は時間どおりに学校についているようです。彼女はシッカリ者でしょう。15分も太陽の下にいたと怒っています。
 雫と夕子はいいコンビです。”ウッカリ者”と”シッカリ者”、そして後にわかりますが”明るい”と”内気”です。互いに補いあっている関係は良いコンビの典型です。

カントリー・ロードとコンクリート・ロード (1999/01/01)

 雫は初めてカントリー・ロードの訳をします。このときの訳は雫自身が「やってみたけど、上手く行かないよ。英語のままでやったら」と言います。雫が初めて訳したカントリーロードは、ほとんど直訳でした。雫は英語の詩に対して、その内容に実感が持てないまま訳していたのしょう。これは、雫が故郷と言うものが何なのか実感していないためだと思われます。夕子は悪くないといいますが、おそらくメロディーにあっていたのでそう言ったのでしょう。結局、雫自身が納得できないものでした。

 雫は「こんなのも作った」と言ってコンクリートロードを夕子に見せます。夕子は「何これ〜!?」といい、雫と一緒に大笑いします。雫も冗談で作ったのでしょうが、その歌詞には実感がこもっているように思います。雫が客観化できる範囲で詞を作った結果がコンクリート・ロードなのです。
 カントリー・ロード/コンクリート・ロードこの2つの詞は雫の試行錯誤の結果という点でつながりが出てくるのです。

夕子の相談〜帰り道 (1999/01/01)

 夕子は雫に相談します。好きな人がいる、でもラブレターをもらったと。
 雫達はやっぱり思春期、関心事は恋と受験ですね。夕子は内気なだけに杉村に告白できない、そしてラブレターをもらった同級生に告白を断る勇気がない。雫は「付き合ってみたら」とか半分茶化しぎみに言っています。結局、夕子には解決にそう役に立ちませんでした。こういう場合、内気な夕子は自分の問題として、自分が納得できるまで考えるしかないでしょう。夕子が「やっぱり、もう少し考えてみる」と言ったのは妥当な解決法です。雫もそういう夕子の性格がわかっているから、強引に考えを押し付けたりせずにに茶化したのでしょう。

内気という性格は、私はこう思っています。周りに流されず、物事をよく考え、考えがまとまれば自分の思うとおりに行動する。相談はしても、その解決を求めているのでなく、不安を他人にぶつけることで自分の気持ちを冷静にする。夕子の性格は大体この考えにあてはまります。

 夕子は杉村が近寄って来たとき、思わず立ち上がって走り去りました。恥ずかしい気持ちを振り絞ってラブレターをもらったとか杉村が好きとか話しているときに、当人に不意に近寄ってこられたので、思わず逃げたのでしょう。ほとんど反射です。初々しさが感じとられて楽しい場面です。同時に時代が過ぎ去った人にはあの頃が懐かしいと感じる場面でもあります。

聖司と雫の出会い (1999/01/09修正)

 雫はうっかり借りた本を忘れてしまいます。学校に戻るとそこには少年が座っていて、雫の忘れた本をよんでいました。少年は天沢聖司なのですが、それが分かるのは後のこと。

 聖司は本を見て月島雫の借りた本だと気付きます。聖司は雫が好きなのですが、この場面では素直ではありません。さも、興味なさそうにしています。きっと、好きだという気持ちが雫にばれるのが怖いのでしょう。そのせいか、雫に「コンクリート・ロードは止めたほうがいいぜ」なんて、強がって言っています。ただ、恋心を気付かれたくないだけなのに、雫を嫌っているように振る舞い、自爆しています。
 雫は、知らない人間にいきなり自分の領域を踏まれたために、頭に来てしまっています。「やなやつ、やなやつ」と、いいながら帰る時バックにコンクリート・ロード(注:雫の作詞曲ではありません)が流れ、思わず爆笑していまいました。

 結局、聖司と雫は最悪の出会い方によって、近づくどころか距離が開いてしまいました。でも、とりあえず雫が聖司の顔を知ったという意味では近づいたのかもしれません。

今、やるとこ〜 (1999/01/01)

 家に帰ってきて、雫は麦茶の一気飲みで気持ちを静めると、すぐ物語に入り込んでしまいます。姉の汐が帰ってきて、朝食をかたずけていないのを注意されると雫は「今、やるとこ〜」といいます。

 反抗期です。すっかり忘れていたことを言い訳するなんて。反抗期では自分に干渉されることが非常に勘にさわります。冷静になって余裕を持つことができず、中途半端に知恵もついていますから、周りからはとても生意気にみえます。本人にしてみれば、いつまでも子供扱いして欲しくないと思っています。雫の姉:汐は何も言わない親に替わって、やたらとやかましく言う普通の家の母親になっています。しかも、シッカリしていてテキパキと何でもこなすので、雫には本当にうるさい存在なのでしょう。

向原駅へ (1999/01/09)

 朝、雫はお父さんへのお弁当配達を断りきれず、向原駅へゆきました。
 雫はお弁当配達を嫌がっていたにも関わらず、足取りはいやに軽やかです。玄関を出て下に降りた時、汐に郵便を出すように呼び止められましたが、もう、ニコニコでした。好きな図書館へ行けるうれしさに違いありません。もう、この時の雫の頭の中はきっと「本!」が90%でしょう。一応、クリップをはずして郵便を出しましたから、まだ、余裕はあるようです。

ネコくん、ひとり? (1999/01/11修正)

 「ネコくん、ひとり?、どこまで行くの」電車の中で雫がネコに話し掛けます。
 雫の空想家の一面が伺えます。雫は声を出して話し掛けましたが、実際のところ心の声なのかもしれません。
 一人で電車に乗ったとき、電車の中は本当に良い空想場所になります。車窓を流れる景色は自分が映画の中にいる感覚を与えてくれますし、電車のモーター音はBGMになります。私も毎日電車に乗っていますが、人が少なく静かでぽかぽかしている時にそんな気分になります。雫が後で言うように本当に物語が始まりそうで、わくわくします。

 この場面では、初めてムーンが登場しますね。ムーンはわざとらしく知らん振りが、なかなか良いです。
雫のセリフに対するムーンのセリフを考えてみました。(フィクションです)
ムーン:「うにゃ、あいてる」(座席にのる)
雫:「ネコくん一人?」
ムーン:「お、変なヤツがひとり、無視しようにゃ」(別の方を向く)
雫:「どこまでいくの?」
ムーン:「ちょっと、そこまで・・・にきまってるにゃ」
雫:「外おもしろい?」
ムーン:「もちろんにゃ、面白くなかったらみないにゃ」
雫:「お〜い、答えてよ!」
ムーン:「うんにゃ、答えん」
ムーン:「まったく、しつこいヤツにゃ。お、デパートが見えてきたにゃ。もうすぐにゃ」
ムーン:「もう、安心」(座席に座る)
雫:「私、ここで降りるの。きみは?」
雫:「じゃあね、ネコくん」
ムーン:「そんなに早く降りなくても、だいじょうぶにゃのに」

ネコをおいかけて(1) (1999/01/11)

 雫はネコが一緒に降りたのを見て、ネコを追いかけようとしますが、駅前で見失いました。
雫の目は完全に子供になっています。止める親もいませんから、どんどん追いかけて行きます。

 子供は基本的に目の前のものしか見えていません、そのため、いくら飛び出しは危ないよと親に教えられていても、ボールを追いかけていれば、ボールにしか目が行かず、集中力もそこにしか発揮されません。子供が突然道に飛び出すのはそのためでしょう。
 この時の雫も、周りに見られている恥ずかしさはまったくなく、ネコだけを見て追いかけているようです。この子供っぽい状態は、雫が、物語の流れにおいてまだ成長前の状態であることを端的に示していると思われます。
 しかし、自動改札をすばやくすり抜け、駅前の信号で止まったので、さすがはお姉さんかもしれません。

ネコをおいかけて(2) (1999/01/11)

 結局、信号が変わった後はネコを見つけることができませんでした。しかし、図書館の下にネコを見つけると再び追跡を開始します。
 この時の雫の行動には恐れ入ります。図書館の横をすり抜け、塀をよじ登って追いかけてゆきました。ここは子供の頃を思い出させてくれる場面です。塀までよじ登って追いかける場面は、鬼ごっこ。あの狭く暗い坂道は探険隊ごっこを思い出させます。「だだっ広い見通しのよい道を走っていても何にも楽しくないが、狭い道はその先がわからないため走っていてとても楽しい」そんな感覚も与えてくれます。

ネコをおいかけて(3) (1999/01/17修正)

 犬の鳴き声で再びムーンを見つけ追いかけます。ネコが犬をからかっているのをみて雫はようやくわれにかえりました。
 ネコをみつけ「この辺に住んでるの?」と言うところは、「み〜つけた!」の感覚です。そして「丘の上にこんな所があるなんて知らなかった」と言います。この場面では、雫は故郷を少し発見します。知っているつもりの土地でも、やっぱり知らないところがある、まだまだ奥は深いと。

 普段は、暮らしている範囲の中で自分の中の故郷は完結してしまっています。それだけに、見なれた風景はいつまでたっても変わらず何一つ客観化できません。しかし、故郷に新しい風景など良いことろを見つけることで、それまでの故郷はなんだったのかと客観化でき、愛着が沸いてくるのではないかと思います。

地球屋にて(1) (1999/01/17)

 地球屋は不思議なお店です。入り口にはイノシシとも乙事主ともつかない金色の人形が置いてあります。中にも見事な彫刻などアンティークがいっぱいです。このお店は見る限り、値札もなにもありません。突然、ぬっと現れたご主人、西司郎は、「自由に見てやってください」と言っていることから、どちらかといえばギャラリーのようです。

 こんな、お店が近くにあったら素敵でしょうね。晴れて暖かい休日の午後、人工的な音のない静かな店内は、使い込まれた木製品の独特のにおいがして、ご主人と集まった人々は紅茶を飲みながら、落ち着いた楽しい会話に興じているような雰囲気があります。
 西老人もきっとこんな悠々自適な日常を送っていると想像してしまいます。こんな老後は理想ですね。

 雫は地球屋でバロンを見付けました。バロンは本名をフンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵と言います。男爵とは爵位(しゃくい)で公・候・伯・子に次ぐ第五位ですので、名誉ある貴族階級に属するようです。西老人は「男爵も退屈しているだろうから」と言っていることから、人形とはいえ人格(ネコ格?)があるようです。
 雫が「あなたはさっきのネコくん?」と訪ねると、一瞬バロンはまるで返事をしたかのように見えました。これは雫の想像の産物にすぎませんが、バロンに人格を感じることができるならば、バロンは本当に返事を返していたのかもしれません。

地球屋にて(2) (1999/01/17)

 西老人は修理していた部品をドワーフの時計に付けました。時計は12時を示し、時計の中で物語が繰り広げられます。この物語について西老人は「きっと、届かぬ恋をしていたんだよ」「住む世界が違うんだよ」と話していました。
 地下で鉱脈を掘っているドワーフは、時計を作った職人、エルフは王宮貴族の娘でしょうか。
ふとした事で二人は出逢い、秘密裏に愛をはぐくんでいたのですが、身分の違いから結婚は許される訳はなく、苦しんでいたに違いありません。この職人とエルフの娘の物語にはきっと続きがあるのでしょうが、その結末はご想像におまかせします。

図書館へいそげ (1999/01/17)

 雫はふとわれにかえり、お弁当を忘れたまま慌てて図書館へ向いました。雫はうれしさで完全に舞い上がっています。一方、地球屋からは聖司が追いかけてきました。
 聖司はまたしても、雫をバカにするような態度をとり、2度目の自爆を果たします。雫は現実に引き戻された上に、ヤなヤツにまたしてもバカにされ、カンカンです。この時の雫の表情がピクピクしているのが面白いです。

 ところで、聖司は「おまえの弁当でかいんだな」と言いますが、そんなことをネタにバカにするとは、案外古風な聖司クンです。別にお弁当がでかくてもどうでもいいような気もしますが・・・、他に照れ隠しに使うネタがなかったのでしょう。

雫の想像 (1999/01/17)

 雫はお父さんにお弁当を渡すと、本を持ってきて読みはじめます。そこにはやはり天沢聖司の名前がありました。聖司を想像しようとすると、相当インパクトが強かったのでしょうか、さっきのヤナやつの姿が浮かんできました。雫は思わず「違う!」と叫び、周りの注目を集めてしまいました。 
 この、思わず声が出るというのは時々あるもので、自分が想像に世界にどっぷり漬かってしまっているときや、細かい計算をしている時にそうなります。この時、我に返るととても恥ずかしくなります。雫の場合、注目まで集めてしまったので、相当バツがわるかったことかと。思わず同情してしまいます。

 雫は聖司にますます強い興味を示すようになっています。知っている人物だと、まったく気にもしないのですが、知らないだけに想像が働き、必要以上に相手を美化してしまいます。想像は楽しいものです。自分を中心に据えて考えることができますから、都合のいいカタチにできます。相手から危害が加わることも、心を傷つけられることもありません。この時の雫の頭には、きっと何もかもが完璧な聖司像が出来あがっていたに違いありません。

ミストラル (1999/01/17)

 雫が図書館で遅い昼食を取っていると、外では強い風が吹いています。帰り道には帽子が飛ばされそうになるほど強くなり、遠くでは雷も鳴っています。
 この風は、毎年8月下旬になると吹きはじめます。この風が吹き始めると朝晩は幾分気温が下がり始めます。暑い夏の終わりを告げ、涼しい秋を呼ぶ風になりますが、ほっとすると同時にせつなくなる風です。
 ミストラルとは南フランスに吹く乾燥した冷たい北風になりますが、この場面では、この言葉の持つ雰囲気が私のイメージに合ってしまいました。

 

 


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(C) Ryoukan