ジブリTHE ARTシリーズ 映画「耳をすませば」より
「バロンのくれた物語」の物語

1995年6月30日初版 徳間書店 2500円 ISBN4-19-860317-0


目次に沿って内容の概略を紹介します。

幸運な出会い 〜前書きにかえて〜 宮崎 駿

本が好きな少女がいました・・・絵描きになろうと決めた青年がいました・・・雪国で育った少年がいました・・・
別々の道を歩いていた柊あおいさん、井上直久さん、近藤喜文さんの3人がアニメーション映画「耳をすませば」で出会うことになりました。これは、「耳をすませば」の主人公月島雫が映画の中で書いた物語「バロンのくれた物語」の映像にまつわるエピソードです。

たまたま目にした「りぼん」に載っていた柊あおいの「耳をすませば」連載第2回、それを見て少女マンガが映画になりうるかを考えていた宮崎駿、少年少女のさわやかな出会いをやりたいと思っている近藤喜文、作業に入ったときに舞い込んだ井上直久の個展の案内状。
1本の映画のために人が集まる。当たり前といえば当たり前ことですが、柊さんの原作との出会い方や、井上さんとの出会い、もっと前からのコンちゃんとの約束が、縁としかいいようのない偶然の連続で紡ぎあわされ、1本の映画になっていきました。
この作品が出来るまでには、他にもいろいろな人との出会いがあります。永年の夢の撮影部を作ったこと。その時、機械より先に責任者になる力のある若いチーフ探しから始めて、その人材を見つけた幸運。頼りになるコンピュータースタッフとの出会い。ひとつひとつの出会いが、どれ一つ欠けても、井上さんの参加は無理だったでしょう。

元絵

”幸運な出会い”が凝縮されているのが、劇中劇「バロンのくれた物語」です。

特にポイントとなっている7点、上昇気流、借景庭園、山の 木々は 風に そよぎ、駅前、塔の街、スターシップの店、市場のアーケード、の絵が載せてあります。

ストーリーボード

絵コンテを作成する前に、頭の中のイメージをまとめるため、一度ラフな絵におこすのが、宮崎流の話の作り方。
「耳をすませば」では、この「バロンのくれた物語」と主人公の月島雫が見る夢のシークエンスのみ、ストーリーボードが描かれました。

絵コンテ

映画の制作過程で、映画全体のイメージを各スタッフに知らせると同時に、そのイメージを一連の絵の流れで具体化したものを絵コンテという。「耳をすませば」では、434ページの絵コンテが宮崎PDによって7ヶ月かけて描かれました。

「雫がラピスラズリの鉱脈とつぶやいて、イバラードの世界にスリップし、階段を駆け下りるシーンまで」と、「バロンが私といいなずけのルイーゼは・・・と言う場面から、ムーンがてんとう虫にのってくるまで」、「雫が才能という原石を探して、走り回り、やがて光る石をみつけるが、死んだ小鳥に変わってしまうまで」の3シーンについて絵コンテが載せられています。

背景

映画のために井上さんに描いてもらった、60点以上のイバラードの世界の絵、未使用になったものも含めて紹介されています。コメントは全て井上さん自身のものです。

十字路の小惑星/小さな家の惑星/鉱石の星/鉱石の星の裏側/迷路の星/・・・・・/巨大な建築のような雲/雲/流れる雲

デジタル合成

デジタル合成についての制作過程について、フローチャートに沿って説明されています。

フィルム同士を重ねて何度も撮影していくのが、オプチカル合成です。何度も合成を重ねるとビデのダイビングと同じで画質が悪くなって行きます。しかも複雑な合成は難しく、画像もずれも起きやすい。こうした。問題点を根本的に解決するのがデジタル合成です。「耳をすませば」では、「バロンのくれた物語」の一部に使用されています。

フィルム

イバラード部分にあたるにフィルムの絵がそのまま載せられています。

せり合いながらの仕事 対談 宮崎駿 井上直久

「井上さんとの仕事に、不思議な縁を感じるという宮崎監督。「どこかで誰かが、出会いのための絵コンテを描いた気がする」と話す井上さん。そんな2人に仕事を終えての感想を語ってもらった。(1995・3・27スタジオジブリにて)

刺激的だった井上さんの参加〜勉強したこと得したこと〜日本の日常への愛着を描く

おまけ 井上直久の作画教室

「懐かしい気がする風景、見たことがないのに、懐かしい思いのする風景。本来こうあるべき風景」そういう絵を描くことが、自分の究極の目的だという井上さんが、その独特の技法と構想で描く「イバラード」の世界。

井上さんのアトリエのから、イバラードの絵が出来るまでを順を追って紹介されています。


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(C) Ryoukan